ケータイ辞書JLogosロゴ 市居原村(近世)


熊本県>芦北町

江戸期〜明治7年の村名葦北郡のうち吉尾川下流,同川が球磨【くま】川に合流するあたりに位置し,河川に温泉が湧出する熊本藩領村高は「旧高旧領」52石余寛永16年の芦北郡地侍御知行割帳(徳富家文書)に,当村の地侍立花十兵衛・馬場六左衛門・藤田次左衛門・本村吉左衛門・藤田清右衛門・野田八郎左衛門らの名が見える手永は,はじめ市野瀬手永,寛永19年大野手永になり,寛文4年からは田浦手永に属した「肥後国誌」でも田浦手永に属し,高52石余,辻堂1とある寛政8年大洪水に襲われ,箙瀬【えびらせ】村西林寺の過去帳(西林寺蔵文書)に当村の死者13人と見える年々覚合類頭書(熊本大学蔵文書)は藩の救助策として,用材として懸山からの松の拝領,その跡の木場作(焼畑)の5か年免除,末木などによる炭焼きの許可などが行われたことを記す熊本県,八代【やつしろ】県を経て,明治6年白川県に所属同7年吉尾村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450001
最終更新日:2009-03-01




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