ケータイ辞書JLogosロゴ 市下(中世)


熊本県>白水村

 南北朝期から見える地名。阿蘇郡南郷のうち。正平7年2月吉日の阿蘇社上葺等次第(阿蘇文書/大日古13-1)に「市下」とあり,南四宮の裏の分の料材を他の3か村とともに勤仕していた。同18年閏正月25日の阿蘇社造営料木納帳(同前)にも南郷分の1つに「一,一丈五尺木 一本 いちかした」とあり,応永29年11月30日の阿蘇山衆徒等起請文写(同前/大日古13-2)では,ほかの南郷の4か村とともに大般若供米を沙汰し,長禄2年7月25日の阿蘇社(カ)造営料木諸郷村支配状(同前/大日古13-1)には「市下分」として梁などの料木が宛て課されている。文明16年8月28日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(同前)には「市か下之分」とあり,てらをの・羽場・岸の本・つちはし・畠中・小坪の小地名が見え,このうち江戸後期市下村の小村として羽場・岸下【きしのもと】・畠中・小坪がある。なお興国2年10月28日の北坂梨惟定申状案に見える「いちか下入道殿」および正平3年9月日の恵良惟澄軍忠状に見える「市下八郎入道々恵」は当地の土豪と考えられる(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450002
最終更新日:2009-03-01




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