ケータイ辞書JLogosロゴ 市原村(近世)


熊本県>矢部町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城【かみましき】郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」94石余,「正保郷帳」も同高でうち田58石余・畠35石余,「天保郷帳」も94石余,「旧高旧領」129石余。「肥後国誌」では,もと中島手永,のち矢部手永に属し,高129石余。文政8年頃の益城上郡手鑑によれば,高129石余,請免44石余,年貢率3割3分余,反別は田4町3反余・畑4町6反余,竈数22・人数107うち男51・女56,牛44・馬41,庄屋は茂右衛門(綾部家旧蔵文書)。氏神は天神社で,ほかに年神がある。「国郡一統志」に見える西福寺は,のち廃寺となり,現在は小堂宇に阿弥陀如来・脇侍2が現存。西側の台地は堂山と呼ばれ,市原城主の墓と伝える宝篋印塔2基があり,永禄8年の年号と「林禅定門」の銘もある。その傍らに天正15年の銘を有する板碑もある。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田10町5反余・畑13町余,戸数20・人数94,牛24・馬28,物産は穀類のほか甘藷・楮皮・茶・干柿・鶏卵など,民業は農業19戸。同22年浜町村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450019
最終更新日:2009-03-01




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