ケータイ辞書JLogosロゴ 市渡瀬村(近世)


熊本県>水俣市

 江戸期〜明治22年の村名。葦北郡のうち。熊本藩領。村高は「旧高旧領」21石余。「肥後国誌」では水俣手永に属し,高28石余で,辻堂1とある。文政元年の肥後藩手永別村名一覧(永青文庫)では深川村の小村になっている。江戸期には積極的に新田開発が進められた。水俣の農業の恩人と称される淵上曽次衛門とその助手蓑田万作が用水路を開削しており,その顕彰碑が地内の市渡瀬八幡宮境内にある。なお同宮は応神天皇を祭神とし,氏子数327戸で(県神社台帳),鳥居には天保7年の銘がある。明治7年仁王木村・桑生村,同9年深渡瀬村と宝川内村の一部を合併。熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同22年水俣村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450031
最終更新日:2009-03-01




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