ケータイ辞書JLogosロゴ 一勝地村(近世)


熊本県>球磨村

 江戸期〜明治22年の村名。球磨郡のうち。人吉藩領。村高は,「寛永郷帳」では「一勝地谷」と見え41石余でほかに新田畑170石余,「正保郷帳」も「一勝地谷」と見え同高でうち田12石余・畠28石余,「天保郷帳」245石余,「旧高旧領」では「一勝地村」と見え296石余。諸郷地竈万納物寄によれば,松谷村・大牟田谷村を合わせたと思われ,宝暦・明和年間頃の家数163うち諸奉公人15・寺社4・郷士28,安永2年改の人数1,245,正徳2年改の反別は田14町余・畑13町余(斉藤氏所蔵文書/人吉藩の政治と生活)。寛文2年から同4年にかけて,人吉の町人林正盛は,球磨川の開削工事を行って舟運の便を開き,諸物資の輸送や交通に利便を図ったが,当村沿岸は特に急峻で,藩主も字柳詰付近では下船して陸行したという。字田代の奥には薩摩へ通じる番所があり,安永5年に番所役を兼ねて右田伝八が開いた陶窯は現在も一勝地焼の名で親しまれている。人吉県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,戸数281・人口1,544,牛336・馬84,田34町6反余・畑491町8反余・山林4,421町3反余。同22年一勝地村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450038
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ