ケータイ辞書JLogosロゴ 出田村(近世)


熊本県>菊池市

 江戸期〜明治22年の村名。菊池郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」1,200石余,「正保郷帳」も同高でうち田332石余・畠868石余,「天保郷帳」1,219石余,「旧高旧領」1,387石余。「肥後国誌」によれば河原手永に属し,高1,251石余,小村に上古閑がある。また文化・文政年間の河原手永手鑑によれば,高1,252石余,請免は626石余,竈数143・人数561,駄馬30(肥後藩の農村構造)。嘉永7年上ノ原に3軒の新出村ができている(島屋日記/菊池市教育委員会蔵文書)。文政元年大旱魃のため深川・河原両手永で分水騒動が起こったが,当村はその中心村の1つで,翌年21人が処罰,2人が追放された(東家文書)。南福寺については,「国郡一統志」に「手水山南福禅寺者安薬師像壇下有清泉故名之」と見えるが,江戸中期には衰退しており,薬師堂となっている。寺の上の山に寛文7年銘の巨大な五輪塔,集落の北側土手に明和9年建立の六地蔵が7体並ぶ。その西側には若宮神社がある。「菊池風土記」には,「是は世上一統称する処之若宮にあらず菊池二代経隆公の墓所也。是を若宮と崇む」とある。本殿は経隆の墓上に建立。なお同社の祭日には,4座組が1年交代で獅子舞をする。東側には菅原神社がある。同社は昭和38年に東屋敷福丸神社を合祀した。その東方には天祇神社もある。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治7年赤星村との間で水争いが起き,互いに相手村へ大勢が押し出す騒ぎとなった。同11年出田小学校が開校したが,同14年赤星小学校へ統合された。同22年花房村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450054
最終更新日:2009-03-01




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