ケータイ辞書JLogosロゴ 井手向村(近世)


熊本県>芦北町

江戸期〜明治8年の村名葦北郡のうち出向村とも書く佐敷川が山間から佐敷平野へ抜け出るあたりで大きく左に曲流する地点,同川左岸の沖積地に立地する村名は,佐敷川の大井堰の向かいに位置することによるという熊本藩領村高は「旧高旧領」58石余寛永16年の芦北郡地侍御知行割帳(徳富家文書)に,当村の地侍として山本平右衛門の名が見える「肥後国誌」によれば佐敷手永に属し,小村に灰塚があり,高51石余灰塚は,村内にある周囲約50mの塚状の小さな岩山を指す明治3年の佐敷郷御通筋御手鑑帳(芦北町立図書館蔵文書)によれば,戸数18,人数93うち男42・女51,牛1・馬4,郷士1熊本県,八代【やつしろ】県を経て,明治6年白川県に所属同8年八幡村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450060
最終更新日:2009-03-01




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