ケータイ辞書JLogosロゴ 糸田(近代)


熊本県>甲佐町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ白旗村,昭和30年からは甲佐町の大字。明治24年の戸数132,人口は男336・女324。当地は,しばしば水害に見舞われ,大正元年の大洪水は塔ノ木の轡塘【くつわども】を押し切り,下糸田の堤防も決壊し,濁流は糸田の上下から押し寄せ全戸を浸水させた。この経験から集落の周囲に低い土手が築かれ,現在もその遺構が旧集落を囲む。昭和11年の洪水は糸田堰を大破し,同12年受益3か村は水利組合を結成,同13年・14年と修復工事を行い,同15年には大島村を加えて県に陳情がなされ,工事に着手。同21年に現在の玉石混凝土溢流固定堰を完成。耕地整理は大正元年の水害後に行われ,翌年完成。昭和37年には下糸田夫之田地域の耕地整理が行われた。同55年の世帯数119・人口474。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450071
最終更新日:2009-03-01




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