ケータイ辞書JLogosロゴ 犬飼村(近世)


熊本県>矢部町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城郡のうち。熊本藩領。慶長13年9月3日の加藤清正黒印状(鳥居文書/県史料中世3)には「犬飼村」と見え,地内のうち87石1斗2升5合が鳥居元幸に宛行われている。村高は,「寛永郷帳」175石余,「正保郷帳」も同高でうち田75石余・畠99石余,「天保郷帳」176石余,「旧高旧領」258石余。「肥後国誌」では矢部手永に属し,高256石余。小村に町村・愛藤寺村が見え,長尾豊前墓がある。文政元年頃の肥後藩手永別村名(永青文庫)には小村に町村・愛東寺村・奥愛東寺村が記される。文政8年頃の益城上郡手鑑によれば,高256石余,年貢率2割9分,反別は田6町1反余・畑13町8反余,竈数44・人数201うち男90・女111,牛38・馬36,庄屋は七助(綾部家旧蔵文書)。「国郡一統志」には権現2・天神2・観音・毘沙門2・善正院・妙見・阿弥陀・西福寺・万福寺・山王のほか,愛藤寺城跡などが記される。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田14町7反余,畑5町8反余,戸数21・人数85,牛23・馬21,川上溝は田6町8反余の用水となり新小村に流れ,物産は穀類のほか甘藷・芋・楮皮・薪・茶など,民業は農業19戸・石工職1戸。明治8年小村の愛藤寺村は白藤村の一部となる。同22年白糸村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450081
最終更新日:2009-03-01




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