ケータイ辞書JLogosロゴ 今村(近世)


熊本県>菊池市

 江戸期〜明治22年の村名。菊池郡のうち。熊本藩領。天正17年の検地帳で高150石余,慶長9年の検地帳(県立図書館蔵文書)では高350石余うち田14石余・畠334石余。その後の村高は,「寛永郷帳」350石,「正保郷帳」も同高でうち田14石余・畠335石余,「天保郷帳」426石余,「旧高旧領」494石余。「肥後国誌」によれば河原手永に属し,高354石余。文化・文政年間の河原手永手鑑によれば,高354石余,新地出高など140石余,竈数76・人数376,駄馬90・牛1,渡舟1,商札を許されていた(肥後藩の農村構造)。寛永3年に一部できていた今村井手が,宝永2年惣庄屋河原杢左衛門によって完工。藤田村で河原川を堰上げ,藤田村〜今村間の丘陵の下に,長さ144mのトンネルを両側から掘削し,貫通させたが,このトンネルを宝永隧道または今村穴男【まぶ】という。今村川原では盛んに盆踊りが行われ,天保〜嘉永年間頃には藩主が上簗から来て漁を楽しみ,種子島流火術の興行などもあった(島屋日記/菊池市教育委員会蔵文書)。嘉永2年時習館訓導となった儒学者木下村は当村の出身。弟の梅里も時習館訓導となった。なお漢学・和学を教えた古耕舎は,村が弘化3年設立して自宅で句読したのに始まる。弟の真弘が跡を継いだが,明治3年廃止。その後高弟武藤一忠が引き継いで環山亭と称し,文武両道の私塾として同12年まで続いた。土阿弥陀と俗称される土釈迦がある。文禄年間頃の建立といい(菊池風土記),顔と手は木製,体は土で塗られ,座像の背部に穴があり,なかに墓碑が塗り込められている。集落の東に今村菅原神社がある。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同22年戸崎村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450098
最終更新日:2009-03-01




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