ケータイ辞書JLogosロゴ 今町村(近世)


熊本県>阿蘇町

 江戸期〜明治22年の村名。阿蘇郡のうち。江戸末期までに小倉村から分村して成立。熊本藩領。村高は「旧高旧領」284石余。「肥後国誌」では,小倉村のうちと見え,内牧手永に属し,石高は記されず「新地高也」とあり,加藤清正が街道を移させたため当地の市店が廃されたという。同書には黒流町村との境の琴弾橋,往還筋の黒川に架かる千斛橋が記される。寛永9年細川忠興肥後入国の折,黒川南方に未墾地が多いことを指摘され(阿部家文書),入植開拓を始め,月に数回の市を開くことを許可された。町づくりは街路を作って人家を建てたと伝えられる。加藤氏以後,千石(千斛)橋―今町―塩塚―坂梨を結ぶ街道が通り,参勤の要路となり,東端に拾壱里木・杉馬場が設けられ,村の西に黒流町村とともに阿蘇三の宮今町神社を祀る。同社は細川忠興肥後入国の寛永9年創建と伝える。社前の小川は川の音にちなんで琴弾川と称される。元治元年の内牧手永増補略手鑑によれば,高252石余・御郡方新地高16石余で,ともに新地となっており,竈数24・人数136うち男77・女59(阿蘇町立図書館蔵文書)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同22年山田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450126
最終更新日:2009-03-01




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