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- 岩屋川内村(近世)とは
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岩屋川内村(近世) 江戸期の村名松浦郡のうち「いわやごうちむら」ともいい,岩屋河内村・岩屋川内山とも書く有田【ありた】川とその支流白川が合流する地点の東に位置する佐賀本藩領有田郷に属す皿山代官支配地村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」「天保郷帳」ともに44石余「旧高旧領」には見えない有田陶磁器生産地の有田皿山の一角をなす有田焼創業期の窯跡である猿川古窯跡が発見されている承応2年万御小物成方算用帳に見える有田皿山十四か所の窯場の1つに岩谷川内山の名が見える文化11年には有田皿山に23登が記録されているが,岩谷川内登はその1つで,13の窯があった(肥前陶磁史)明治9年の有田陶業盟約に連判した窯焼人は9人有田皿山の五口屋番所の1つが設置され,人の出入りをきびしく監視した「明治11年戸口帳」によれば,有田皿山のうちに「岩谷川内町」と見え,戸数111・人口496 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」