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- 岩原村(近世)とは
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岩原村(近世) 江戸期~明治7年の村名安曇【あずみ】郡のうち烏川扇状地に位置するすでに,中世から岩原堰によって高地が灌漑され集落が形成されていた寛永4年の検地の際に堀金村から分村して成立(南安曇郡誌)寛永19年の松本領村々高附帳(県史近世史料5-1)に,岩原村139石余と見える松本藩領長尾組に属す村高は,「元禄郷帳」157石余,「天保郷帳」171石余,「旧高旧領」195石余寛文4年の反別田7町1反余・畑9町6反余(郷土堀金)元禄13年烏川谷の小野沢から銀を採掘,松本藩に献上元禄年間には烏川山から善光寺本堂の普請用材を搬出している当村は烏川山の入口にあたり,山元となっているため,享保4年・文化6年・文政4年など数度入会山論が起きているまた烏川分水点にもあたるため,水論も多かった文政8年の赤蓑騒動では庄屋山口彦兵衛宅が打壊された(南安曇郡誌)天保8,9年頃白池堤・野田場堤が完成し,溜池による用水も利用するようになった天保13年庄屋山口氏が小水沢での石灰焼を藩に願い出たが,当時松本藩は石灰を田方養いに使用することを禁止していたため許可にはならなかったが,のち慶応元年解禁となり,翌2年から上堀金村・下堀金村とともに石灰竈を設けて石灰を焼き出した(同前)安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)によれば,家数51・人数257産土神は上堀金村諏訪社村内には山の神がある寺院は曹洞宗宝降山安楽寺・同宗臥雲山孤峰院・真言宗立岩山大同寺がある明治4年松本県を経て筑摩県に所属同6年の戸数66・人口292,税地田畑24町5反余(南安曇郡誌)同7年烏川村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩原村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」