ケータイ辞書JLogosロゴ 苧生田村(近世)


熊本県>三加和町

江戸期〜明治9年の村名玉名郡のうち菊池川に注ぐ和仁川の支流十町川下流域に位置し,東に岩村岳,西に中岳があり,両山麓の扇状地に集落を形成地名の由来は,からむし(苧麻)の生える土地が多いことによるという縄文時代の上津田遺跡がある熊本藩領村高は,「寛永郷帳」200石,「正保郷帳」も同高でうち田120石余・畠79石余,「天保郷帳」207石余,「旧高旧領」282石余「肥後国誌」では南関手永に属し,高274石余,七社権現宮・天満宮,文明8年銘の六地蔵石,禅宗正福寺跡が記される氏神の苧生田神宮(七社権現宮)は承保3年前原義元の勧請という熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年津田村の一部となる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450192
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ