ケータイ辞書JLogosロゴ 内田村(近世)


熊本県>鏡町

 江戸期〜明治22年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。江戸末期までに下有佐村から分村して成立。熊本藩領。村高は「旧高旧領」901石余。「肥後国誌」では,下有佐村のうちと見え,野津手永に属し,高890石余,小村に田中が見える。当村の漁民は,藩主が鶴崎(大分県)から参勤交代の渡航をする際,御用を勤めたことで,宇土【うと】郡松合から八代までの沿岸漁業の特権をもっていた。ところが,沿岸の八代海に文政4年に七百町新地を築造したため鏡入江右岸の芝口村,左岸の宝出村が地続きとなったので,上流の商業地区鏡町と漁業者の住む当村とが水上交通の道を閉ざされて打撃を被った。野津手永惣庄屋犬塚安太は鏡入江開削を藩に願い出,同13年に開通させると,鏡町や当地の奥まで舟運が開け,葦北郡・天草郡との交易が進んだ(鏡郷土誌)。天保2年野津手永悪田余地として当村に222反余・2,262石余があった(野津会所調/鹿子木家文書)。熊本県,八代県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治5年内田小学校開設。同10年西南戦争のため一時閉鎖,同年9月再開。同13年新川のほとりに名和範蔵(号童山)が私立変則中学新川義塾を開校し,同16年修身専門学校と改称,同20年廃校となる。明治14年字安居に鑑内小学校新築,同20年鏡町字清水に尋常鏡小学校創立に伴い鑑内小学校は同校へ移行(鏡小学校百年史)。同22年鏡町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450253
最終更新日:2009-03-01




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