ケータイ辞書JLogosロゴ 内田(中世)


熊本県>菊水町

 南北朝期から見える地名。玉名郡のうち。正平18年正月20日の玉名東郷久井原四至境注文(広福寺文書/県史料中世1)に「ひさいはらのしゝさかいの事」として「南をかきる田地ハ,ひさいはらのうちうちたさかいハ,うすはなのミちかきり也」とあり,当地は広福寺領久井原村の南境にあった。戦国期には内田氏がおり,永正元年3月3日の菊池肥後守政隆侍帳(菊池風土記)によれば,菊池氏家臣510人のうちに内田右京亮重貞・内田右左衛門尉朝藤・内田刑部允友明の名が見え,同2年12月3日の肥後国諸侍連署起請文写(阿蘇文書/大日古13‐2)には内田遠江守重国・内田右京亮重貞・内田右左衛門尉朝藤の名が見える。天正10年頃には玉名郡一帯は竜造寺氏の支配下に入り,同11年7月10日の竜造寺政家判物(成富家譜/大日料11‐4)によれば,成富信種の所領「肥後国内田六町之内田畠三町地」などが,その子菊千代女・乙菊丸・万法師丸3人の母に宛行われている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450255
最終更新日:2009-03-01




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