ケータイ辞書JLogosロゴ 内牧村(近世)


熊本県>阿蘇町

 江戸期〜明治22年の村名。阿蘇郡のうち。熊本藩領。近世初頭と推定される7月29日付の加藤清正書状(吉村文書/熊本史学41)に「内之まきの普請」と見え,当地の普請を吉村橘左衛門尉に命じている。村高は,「寛永郷帳」384石余,「正保郷帳」も同高でうち田247石余・畠136石余,「天保郷帳」884石余,「旧高旧領」824石余。なお江戸末期までに成川村を分村しており,「天保郷帳」「旧高旧領」の村高には内牧町の高も含まれる。「肥後国誌」では内牧手永に属し,高497石余,小村に広瀬村・井手口村が見え,内牧町の項には同町が郷村帳では内牧村とあることが記される。元治元年の内牧手永増補略手鑑によれば,竈数42・人数266,牛馬96,田畑反別55町余(阿蘇町立図書館蔵文書)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同12年内牧町・分内牧村・成川村を合併。同14年旧内牧町の宝泉の地に設置された阿蘇郡役所は,同19年宮地に移転。同22年内牧村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450281
最終更新日:2009-03-01




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