ケータイ辞書JLogosロゴ 内牧町(近世)


熊本県>阿蘇町

 江戸期〜明治12年の町名。阿蘇郡のうち。熊本藩領。当町は「旧高旧領」などには見えない。「肥後国誌」では内牧手永に属し,高225石余,「里俗内牧町ト称スレトモ郷村帳ニハ内牧村トアリ」と記され,当町に内牧手永会所が置かれた。細川氏は内牧城本丸跡に江戸参勤途次の御茶屋を設け,二の丸跡に内牧手永の会所を置き,町並みを整え,さらに小里の北の地に藩倉を設け,当地は阿蘇地方の中心地となった。江戸期には大火が頻発し,現在当地の各所に残る火除けの碑によると正保元年60戸,文政5年56戸,文政7年100余戸,同7年23戸,同年さらに331戸が焼けている。防火対策として火除けの空地6か所の設置,防火用水路の開通,家造の改善,消防組の組織,夜警などを実施励行した。これらの施策は今日も名残をとどめる。神社は内牧城の守護神を内牧天満宮とし,内牧手永の総鎮守として伊勢宮を会所前に祀り,寺院は天台宗満念寺・浄土宗尊知寺・日蓮宗浄信寺・浄土真宗満徳寺・同宗明行寺などが創建された。湯山・塘下・小里・折戸・竹林の温泉が町内各所にあり,当初は自然湧出であった。内牧御茶屋が本陣とされたほか,上下の御客屋を脇本陣として町内のそれぞれに宿舎を割り当てた。元治元年の内牧手永増補略手鑑によれば,竈数201・人数685,町の規模は東西12町33間で,造酒屋5軒・麹屋9軒・質屋5軒・紺屋6軒があり,商店の鑑札188枚となっている(阿蘇町立図書館蔵文書)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治6年内牧御茶屋跡に内牧小学校を設立し,同9年以降宇土・成川・湯浦の各小学校を併合。一部を分校とした。明治5年には県下で8番目といわれる内牧郵便役所が置かれた。同10年正月,小国に端を発した農民一揆は,2月には阿蘇谷に波及し,当地の浄信寺で副戸長に対して民費使途の説明を要求する集会が開かれ,その後,正・副戸長らに対する打毀に発展。打毀は4月には鎮静し,6月に内牧小学校を臨時裁判所として首謀者に対する裁判が行われた(史料阿蘇2)。同12年内牧村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450282
最終更新日:2009-03-01




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