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- 宇土村(近世)とは
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宇土村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国直入郡家中郷のうち滝水川の南岸の谷あいに位置する岡藩領穴井迫組に属す村高は「正保郷帳」66石余,「見稲簿」「天保郷帳」同高,「旧高旧領」93石余村位は中穴井迫村大庄屋の支配を受けた(農民一揆)「豊後国志」は,古くは甘菅【あますげ】村と記す穴井迫組のうち,当村のみが滝水川の南岸に位置し,ここは川幅が狭く,水深も浅いため,肥後への往還がここを渡った時代もあったという明治4年大分県に所属同8年穴井迫村に合併,以来通称地名として存続現在の竹田市大字穴井迫のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
宇土村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国直入郡家中郷のうち稲葉川支流久住川中流の左岸山間に位置する岡藩領北尾鶴【きたおづる】組に属す村高は「旧高旧領」91石余とあるのが唯一の所見深迫村小庄屋の支配を受けた(農民一揆)明治4年大分県に所属同8年福原村に合併,以来通称地名として存続現在の竹田市大字福原のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」