ケータイ辞書JLogosロゴ 産山村(中世)


熊本県>産山村

 南北朝期に見える村名。阿蘇郡北郷のうち。地名は宇歩山・宇夫山・生産山とも記され,「うふのやま」と称された。地名としては鎌倉期にも見え,嘉禎2年正月5日の肥後阿蘇郡四境注文(阿蘇文書/大日古13‐1)に「東境 宇歩山」とある。元徳2年正月14日の造営料木第三箇度切符写(同前)には「合 北郷分……一,宇歩山 一,〈同(四宮)〉野椽三十五支 長二丈 広四寸 厚」とあり,造営役として四宮の野椽35支を納め,元徳2年2月23日の阿蘇社造営料木注文写(同前/大日古13‐2)では「勢得分」として柱1本を納めている。正慶元年11月22日の阿蘇社造営料鍛冶炭苫未進注文写(同前/大日古13‐1)には「四タ十二月十一日宇夫山方 カムチヤウ(勘定)アルヘシ」と見える。南北朝期の建武3年3月11日の阿蘇社領郷村注文写(同前)に「一所五町 産山村」とあるのが村名の初見。至徳2年8月7日の阿蘇社領郷々注文(同前)には「一所うふのやまはんけ分 御れう所」とあり,半家分(5町)が御料所となっている。文安5年8月18日の阿蘇社造営木屋勤仕人数番定(同前)には,9番に今村宮三郎の知行地として「いまむら うふの山 くまさき」と見える。造営役としては,正平7年2月吉日の阿蘇社上葺等次第(同前)で国造御宮の裏の分を勤めているのをはじめ,同18年閏正月25日の阿蘇社造営料木納帳(同前)では梁1本(長さ1丈8尺)を納め,応永9年卯月日の阿蘇社造営料木郷村支配注文案(同前)では垂木・柱など17本を納め,天文14年10月20日の阿蘇社対面所造営料木切符次第写(同前/大日古13‐2)では山鹿と合わせて5町分の料木を納めており,当村が中世を通じて造営役を勤めていたことが知られる。なお文明16年8月28日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(同前/大日古13‐1)の「国造御宮之分,霜御宮同前」に「一所とち河〈二百文,まめ一斗〉一所おきのさこ〈二百文,まめ一斗〉……一所いしおの〈ひるたはり〉」とあり,栃川は産山村の別称で,荻迫・石小野は現在産山村の字名として残る。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450303
最終更新日:2009-03-01




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