ケータイ辞書JLogosロゴ 馬瀬(近代)


熊本県>宇土市

 明治22年〜昭和41年の大字名。はじめ緑川村,昭和29年宇土町,同33年からは宇土市の大字。明治24年の戸数68,人口は男172・女174。同40年頃までは,船の廃材が船場川沿いの家の用材として利用されていたという。緑川村成立とともに馬瀬の小学校高学年(5・6年)は緑川小学校へ,低学年は馬瀬分教場へ通い,同分教場は昭和14年まで続いた。同29年には馬瀬の全児童は宇土小学校へ通学することになった。馬瀬北部の船場川・古川の合流点から西へ約300mの二文渡(三拾町境)には,明治35年頃,有料の土橋が架けられ(馬瀬住民は無料),第2次大戦まで利用されていた。昭和16年には化学工場が操業を開始し,その折,浜戸川岸に岸壁を設けた。工場設置に伴い馬瀬往還,大石樋・庄部溝や民家などが廃された(宇土郡誌・宇土市史)。同19年船場川に沿って新道が敷設された。同40年から県第1号の県営圃場整備事業が始まった。同41年宇土市の町名となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450309
最終更新日:2009-03-01




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