ケータイ辞書JLogosロゴ 海浦村(近世)


熊本県>田浦町

 江戸期〜明治22年の村名。葦北郡のうち。熊本藩領。村高は「旧高旧領」249石余。寛永10年の人畜改帳によれば,家数101・屋敷数24,人数239,別掲に海浦加子村と見え,屋敷高1石余,人数31,屋敷数3とある。正保年間頃から湊口番所が置かれ,藩士1人の上番と葦北郡筒の下番が出入り舟の警固にあたった。寛永16年の芦北郡地侍御知行割帳(徳富家文書)では小田浦村・宮浦村を懸村としていたが,「肥後国誌」では小田浦村のうちとあり,佐敷手永に属し,高47石余,御高札11枚立と記し,さらに「里俗海浦本村ト云」と見える。また同書は八房大明神宮・地蔵堂・浄土真宗西派覚円寺などの寺社をあげる。明治7年滝上村を合併。同年小田浦分校を覚円寺に開設,同12年字山下に校舎を建築した。熊本県,八代県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同22年田浦村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450311
最終更新日:2009-03-01




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