ケータイ辞書JLogosロゴ 漆川内村(近世)


熊本県>芦北町

江戸期〜明治8年の村名葦北郡のうち球磨【くま】川支流漆川内川の中流域に位置する村名の由来は不詳であるが,山方産物の漆との関係が考えられる熊本藩領村高は「旧高旧領」26石余寛永16年の芦北郡地侍御知行割帳(徳富家文書)に,当村の地侍として吉田六郎次・大瀬市介・荒川清介・江口作蔵の名が見える手永は,はじめ市野瀬手永,寛永19年に大野手永となり,寛文13年からは佐敷手永に属した「肥後国誌」でも佐敷手永に属し,小村に平沢水があり,高25石余小村平沢水は,一般に平沢津と記され,地元では「ひらそど」と発音する寛政2年佐敷町で商売をした際の諸値段を記す史料(吉田家文書/芦北町誌)に,佐敷手永漆川内焼の茶碗・徳利・蓋茶碗・皿が見えるこの漆川内焼は,安永7年当村の甚平によって焼き方願いが藩に出されているもので,幕末には断絶した明治3年の佐敷郷御通筋御手鑑帳(芦北町立図書館蔵文書)では,高19石余,戸数24・人数112,郷士4,牛13・馬14,小村平沢津分は戸数19・人数100,郷士1,牛10・馬9熊本県,八代【やつしろ】県を経て,明治6年白川県に所属同8年角割村の一部となる現在の芦北町告字村本・宮ノ前の地
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450341
最終更新日:2009-03-01




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