ケータイ辞書JLogosロゴ 永尾村(近世)


熊本県>不知火町

 江戸期〜明治22年の村名。宇土郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」297石余,「正保郷帳」も同高でうち田229石余・畠67石余,「天保郷帳」298石余,「旧高旧領」354石余。「肥後国誌」によれば松山手永に属し,高338石余。なお同書には,別に「黒仁田村 高十二石余,浜村ト云小村アリ」と見える。黒仁田の地名は現存せず,現在の黒ノ谷または古屋敷にあたるという。古屋敷の氏神若宮神社はもと黒仁田神社といい,剣豪丸目蔵人の墓碑および先祖書に黒仁田の名が見えることなどから,地元では古屋敷説をとる。氏神は,和銅6年創建という永尾神社(剣大明神宮)。「肥後国誌」によれば,里俗に神体は地名由来伝承のエイの尾の剣というとある。当地には,江戸初期からのものと思われる独特の雨乞唄を伝える。熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治6年永尾小学校が開校,同14年の生徒数は男37・女5(松合小学校創立百周年記念誌)。「郡村誌」によれば,田24町9反余・畑41町7反余,戸数107・人数661,牛104・馬5,日本形船5,水車1,字五田々に人民共立小学校があり,生徒数は男46・女2,物産は穀類のほか葉藍・黒砂糖・鍬・鎌・薪・炭・竹など,民業は農業92戸・大工職1戸・石工職2戸など。同21年の戸数116・人口674(県公文類纂/県立図書館蔵文書)。同22年松合村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450350
最終更新日:2009-03-01




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