ケータイ辞書JLogosロゴ 江代村(近世)


熊本県>水上村

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ日向国臼杵【うすき】郡,のち肥後国球磨郡のうち。当村の成立は天和年間以降という(水上村史)。当地は,元和5年幕府領,阿蘇神社管理地を経て,明暦2年人吉藩支配地,のち人吉藩領。村高は「旧高旧領」96石余。元和5年以前は,当地を含む日向国・肥後国の国境付近の椎葉山(那須山)と呼ばれる地一帯は,那須与一の弟大八郎の末裔と称する那須氏13人を頭領としてその支配下にあり(球磨郡誌),一族の内紛に際し,元和5年幕命を受けた人吉藩相良氏が那須一族を滅ぼした椎葉山事件が起きている(人吉市史)。「元禄郷帳」では,日向国臼杵郡の椎葉山とされるうちに相良壱岐守領として当村と千ケ平村・古川村・田向村・白水村・平谷村が見える。千ケ平村など5か村は「旧高旧領」などに見えず,当村のうちに含められていたと考えられる。諸郷地竈万納物寄によれば,宝暦・明和年間頃の家数113うち社家2・郷士73,安永3年改の人数650,享保2年改の反別は田6町余・畑4町余(斉藤氏所蔵文書/人吉藩の政治と生活)。人吉県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,戸数148・人口854,牛110・馬19,反別は田6町6反余・畑494町4反余・山林236町2反余。同22年市制町村制施行による江代村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450358
最終更新日:2009-03-01




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