ケータイ辞書JLogosロゴ 箙瀬村(近世)


熊本県>芦北町

 江戸期〜明治22年の村名。葦北郡のうち。熊本藩領。村高は「旧高旧領」18石余。寛永16年の芦北郡地侍御知行割帳(徳富家文書)に村名が見え,地侍に深江弥五衛・長江紀伊介・益田忠左衛門・大瀬六蔵らの名が記される。「肥後国誌」によれば田浦手永に属し,高17石余,高札場があり2枚立,神社は天神社とある。寺院には浄土真宗本願寺派西林寺がある。地名由来哀話の相良家臣宇之木源八郎が罪過を悔いて薙髪し,京都本願寺から本尊を拝領して帰国,熊本順正寺の弟子となり,法名を流清と改めて当地に一庵を建て,元禄3年西林寺の寺号を免許されたという(葦北郡誌)。なお当村背後の箙瀬山は,西南戦争の激戦地の1つ。熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治7年上蔀村を合併。同8年箙瀬小学校開校,同20年の戸数41・人口280(芦北町誌)。同22年吉尾村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450382
最終更新日:2009-03-01




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