ケータイ辞書JLogosロゴ 小池村(近世)


熊本県>益城町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城【かみましき】郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」918石余,「正保郷帳」も同高でうち田426石余・畠492石余,「天保郷帳」978石余,「旧高旧領」1,637石余。「肥後国誌」では鯰手永に属し,高1,459石余,小村に飯田村・土山村・秋永村・下原村が見える。熊野権現宮が当村の氏神で,ほかに神社として天神社・水神社・年神社2,寺院に天台宗常楽寺があり,土山村では瓦師が屋瓦などを作ると記される。熊本城築城に際しては土山村で瓦を焼いたと伝える。常楽寺の仁王像(伝運慶作)は,享保年間焼失し,のち再建されたものという。山麓で水が乏しい飯田・土山は溜池利用の水田耕作,秋永・下原では畑作が主に行われた。土山瓦は名物数望附(肥後読史総覧)に見え,近くの粘土と飯田山の松を利用して焼かれ,土山村は享保年間には瓦師村と呼ばれた(高山村長久寺過去帳)。当村には享保年間と嘉永年間の六地蔵のほか石造物が多い(肥後読史総覧)。慶応元年10月28日に出雲松江藩の桃節山が,益城平野から当地の飯田山を眺め,握飯の形に似るところから詩人などが飯顆山と称したと記している(西遊日記/庶民史料20)。土山では書家水野一間太(顆山)により生徒数100の寺子屋が安政年間〜明治初期まで開かれていた(県教育史)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治8年に創立された字飯田の円林校の同11年の生徒数は男88・女32(同前)。「郡村誌」によれば,田84町余・畑121町2反余,戸数229・人数1,122,牛4・馬171,日本形船1,用水は大人足溜池・三王免溜池・丸林溜池など6つの溜池を利用,字飯田に人民共立小学校があり,生徒数は男74・女28,物産は米・大豆・小豆・裸麦・小麦・大麦・粱・甘藷・櫨実・瓦・小桶・釘など,民業は農業155戸・質屋4戸・染物職1戸・大工職1戸・桶職1戸・鍛冶職1戸・瓦焼職50戸など。明治22年飯野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450398
最終更新日:2009-03-01




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