ケータイ辞書JLogosロゴ 大瀬村(近世)


熊本県>球磨村

 江戸期〜明治22年の村名。球磨郡のうち。人吉藩領。村高は,「寛永郷帳」では「大瀬谷」と見え24石余でほかに新田畑70石余,「正保郷帳」も「大瀬谷」と見え同高でうち田7石余・畠16石余,「天保郷帳」54石余,「旧高旧領」56石余。諸郷地竈万納物寄によれば,宝暦・明和年間頃の家数50うち寺社1・郷士6,安永3年改の人数293,正徳2年改の反別は田2町余・畑2町余(斉藤氏所蔵文書/人吉藩の政治と生活)。古来球磨川は急流で荒瀬が多く舟運の便はなかったが,寛文2年から同4年にかけて,人吉の町人林正盛が厄落しとして,自力で川筋を開削して舟運の便を開いた。この工事にあたり大瀬の川中にある巨大な石灰岩通称亀石の除去は難しく,伝承によれば,稲荷大明神の神託により亀石の上に薪を積み上げて火をかけたため石は次第に剥離して除去できたという。以降,舟は八代【やつしろ】海まで運航できるようになり,明治41年に八代〜人吉間に鹿児島線(現肥薩線)の一部が開通するまで,重要な輸送路となった。しかし,字大瀬の石灰岩の岩壁は河流に深くえぐられ,ここを通るときは,藩主も槍を倒して通ったことから槍倒しの瀬と呼ばれたという。人吉県,八代県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,戸数63・人口368,牛70,田3町7反余・畑232町4反余・山林45町1反余。同22年神瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450465
最終更新日:2009-03-01




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