ケータイ辞書JLogosロゴ 大田尾村(近世)


熊本県>三角町

 江戸期〜明治22年の村名。宇土郡のうち。熊本藩領。村高は「旧高旧領」108石余。「肥後国誌」によれば,「大多尾村」と見え,郡浦手永に属し,高97石余,小村に小久保村・中道村などがある。氏神は聖神。寛政4年肥前島原の雲仙岳爆発による大津波に襲われ,流失家屋19軒・溺死68人(津波肥後国海岸へ襲来の図/熊本県潮害誌),また三角浦・大田尾村・赤瀬村・網田村・戸口村あたりの死人1,000人ばかり(千代の不知火/秉燭雑録)などという大きな被害を受けた。熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田9町4反余・畑14町5反余,戸数67・人数333,牛43頭,日本形船15,物産は米・小麦・裸麦・粱・蕎麦・甘藷・薪・黒砂糖や海産物など,民業は農業38戸・大工職2戸・漁業8戸・船乗業20戸。なお同17年に三角築港に先立って着工された熊本〜三角間の道路は,同19年に開通し,当地は海岸沿いの地域との往来が可能となった。同22年市制町村制施行による大田尾村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450477
最終更新日:2009-03-01




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