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- 大辻村(近世)とは
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大辻村(近世) 江戸期~明治初年の村名播磨国加古郡のうち別府【べふ】川中流域左岸,印南野台地西端に位置する地名の由来は,西国街道(山陽道)が加古川三角州の氾濫地帯を避けて北回りに迂回していた道と江戸期になってから加古川宿を通るようになった道との分岐点にあたるからという姫路藩領村高は,「正保郷帳」107石余うち田66石余・畑40石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)107石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに142石余荒神山に安永5年の庚申塚がある(加古川市の文化財)明暦2年新井疎水が古宮組大庄屋今里伝兵衛によって完成文久元年の大野組人別書上帳(荒木家文書)によれば,人数55正月の祷と7月の祷があって,正月の祷に綱巻きのオトーが行われる(加古川市の文化財)明治初年野口村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」