ケータイ辞書JLogosロゴ 大林村(近世)


熊本県>菊鹿町

江戸期〜明治9年の村名菊池郡のうち木野川の支流初田川の最上流域の最も奥まった地域永禄2年菊池氏滅亡後,木野氏の遺領をめぐって隈部親永と赤星親家が合瀬川合戦を戦った際に赤星勢は当村で休憩し,道場村に布陣したという(隈部軍記/肥後古記集覧)熊本藩領「天保郷帳」などでは道場村の高に含まれ,村高は「旧高旧領」で238石余「肥後国誌」では深川手永に属し,高233石余なお宝暦14年の地引合見図御帳(県立図書館蔵文書)は御郡間新地の畠分しか残存しないが,畑2町6反余・高5石余,金塚・小稗方・岩詰・辻・柳原・仏ノ迫・よけの上・金頭・平羅石・居去など15の畠下げ名が見え,辻・荒田のほかはすべて他村の耕地が入り交じっていた文化11年の深川手永手鑑(肥後藩の農村構造)によると家数35・人数154,牛4・馬28社寺祠堂は氏神松尾宮・大隅大明神,小林寺跡の毘沙門堂,風心寺跡の阿陀堂などがある熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年松尾村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450543
最終更新日:2009-03-01




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