ケータイ辞書JLogosロゴ 小川町(近代)


熊本県>小川町

 明治22年〜現在の下益城郡の自治体名。西北小川村・小川町・東小川村・南小川村の1町3か村が合併して成立。旧村名を継承した4大字を編成。役場を小川に設置。明治24年の戸数723,人口は男1,823・女1,837。明治32年下益城南部高等小学校創立,大正5年廃校,町内の各小学校に高等科を設置。明治34年頃,自転車・蓄音機などが町内に普及しはじめた。同36年益南銀行開業,同40年小川木綿の寺本綿布操業,同45年小川郵便局電話業務開始,大正2年町内全域に電灯点灯,同6年以降政府の副業奨励に則して藁工品・木炭などが盛んとなる。同7年益南銀行は肥後銀行小川支店となる。同8年商工会結成,同14年小川駅〜海東村間にバス開通,同15年ラジオ放送開始。明治42年に製造開始された白玉粉は当町の特産物で,大正12年白玉粉工業組合が結成され,生産高は新潟・東京に次いで第3位。第2次大戦中は自然廃業,昭和26年製造再開,生産高が着実に伸びている。江戸期には在町・宿場町として繁栄した当町も,町部から2km離れた川尻に小川駅が設置され,不知火干拓の進行により砂川の舟運による物資運送も望めなくなり,また,氷川沿いの道路新設のため経済的打撃を受け,山手との交易に支障をきたした。昭和33年益南・海東の2か村を合併,17大字を加えて21大字を編成。同48年不知火干拓から不知火を起立し,22大字となる。当町の中心地は昭和8年に開通した国道3号沿いにかわりつつある。世帯数・人口は,大正9年658・3,167,昭和10年729・4,133,同25年963・5,288,同45年3,270・1万4,495。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450607
最終更新日:2009-03-01




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