ケータイ辞書JLogosロゴ 小坂村(近代)


熊本県>御船町

 明治22年〜昭和29年の上益城郡の自治体名。大字は編成せず。昭和29年までは,陣村・豊秋村との組合村を形成。明治24年の戸数91,人口は,男283・女294。戸数・人口は,同33年111・556,大正3年110・598。大正7年電灯布設(九州電気50年史)。名僧東福寺第9代住職八淵蟠竜は,明治26年米国イリノイ州シカゴ市で開かれた世界宗教大会に初の日本仏教代表として渡米(八淵蟠竜伝)。帰帆尋常小学校は,同28年小坂尋常小学校となり,大正4年高等科を併置し小坂尋常高等小学校と改称,昭和16年小坂国民学校を経て,同22年小坂小学校となる(小坂小学校沿革史)。大正3年御船鉄道(のち熊延鉄道)が開通し,小坂村駅開設。大正初期頃まで,村内の塘下(現国道445号)は田面が低く排水が悪かったが,当村出身の木村吉蔵が独力で大正10年に用水路を完成。その範囲は六嘉・甘木にも及び,現在御船町の穀倉地帯となっている。塘下に耕地整理記念碑が残る。農業は水稲が中心で,養蚕は明治中期から副業として農家に普及し,昭和初期の不況を経て昭和8年には75戸・生産量4,679貫となり,同14年までが最盛期であった(県養蚕統計書)。第2次大戦中は労働力の減少,食糧増産のため甘藷畑やラミー畑への転作などで養蚕は縮小した(県蚕糸業史)。同22年頃から復興したが,同26年頃から次第に減少しはじめ,現在は3戸が従事。明治15年・大正元年・昭和26年の御船川堤防の決壊による被害は甚大であった。この26年の豪雨で決壊した堤防には櫨が植えられ,赤穂浪士ゆかりの櫨並木として県民に親しまれていた。御船街道は昭和30年県道熊本浜線,同56年国道445号に昇格。加藤清正が築堤した堤防(八竜塘)の県道熊本浜線は九州自動車道御船インターチェンジ建設によって新道が造られたため廃道となった。世帯数・人口は,大正9年112・584,昭和10年105・571,同25年230・732。昭和30年1月1日御船町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450662
最終更新日:2009-03-01




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