ケータイ辞書JLogosロゴ 小野荘(中世)


熊本県>小川町

 鎌倉期〜南北朝期に見える荘園名。八代郡のうち。正和5年3月日の性妙申状案(舛田文書/県史料中世3)に「小野庄住人」とあるのが初見。安貞2年8月5日の七条院(藤原殖子)処分目録案(東寺百合文書/鎌遺3771・3772)に見える「小野鰐庄」との関係が推定されるが,詳細は不明。正和5年10月25日の沙弥道覚譲状案(詫摩文書/県史料中世5)によれば,「同国おのゝ庄いまよし名田地やしき三ケ所・同所のむまのせの井れう一丁内八反・ひかしのしゆりてん五反・同にんわうかうてんさたんちやう」を詫磨道覚が次男「たけくま丸」に譲っている。南北朝期の正平2年8月25日に,大友孫次郎が当荘に攻め寄せ城郭を構えたため,南朝方の恵良惟澄らが追い散らし,城を破却したことが,同年9月20日の恵良惟澄申状写(阿蘇文書/大日古13‐1)および同3年9月日の恵良惟澄軍忠状(同前)に見え,これが荘名として見える最後である。荘域は現在の小川町北小野・中小野・南小野一帯に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450714
最終更新日:2009-03-01




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