ケータイ辞書JLogosロゴ 小群村(近世)


熊本県>山鹿市

 江戸期〜明治22年の村名。山鹿郡のうち。熊本藩領。「寛永郷帳」では高262石余,「正保郷帳」も同高でうち田167石余・畠94石余,「天保郷帳」も262石余,「旧高旧領」267石余。「肥後国誌」によれば山鹿手永に属し,高266石余で,阿蘇四宮社・天神・薬師堂などが記される。なお天正17年の検地帳(県立図書館蔵文書)では,高264石余・反別27町余,うち田が167石余・13町7反余,畠が96石余・13町3反余とあるが,慶長9年の検地帳(同前)では,畠の高が94石余で,合計262石余とある(山鹿市史)。文政9年の山鹿手永高物成并惣軒数等書付(肥後国郷村明細帳2)では,竈数57・人数225,馬42,纚札1枚・商札3枚・鉄砲1枚などとある。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田16町1反余・畑24町6反余,戸数48・人数233,馬37,物産は穀物のほか・甘藷・茶・薪・楮皮など,民業は農業39戸・大工職2戸・桶職1戸など。同19年の戸数55・人口246(山鹿市史)。同22年平小城村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450752
最終更新日:2009-03-01




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