ケータイ辞書JLogosロゴ 小谷村(近世)


熊本県>益城町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」446石余,「正保郷帳」も同高でうち田116石余・畠330石余,「天保郷帳」453石余,「旧高旧領」741石余。「肥後国誌」では沼山津手永に属し,高733石余,小村に荒瀬が見える。文久年間〜明治初期には習字の寺子屋があり,教師1,生徒数男50であった(肥後読史総覧)。富永喜左衛門は,金山・銅山の経営,葉煙草売買などで殖産興業に貢献して巨富を得,水道開削や灌漑に努め,住民に米・粟を与えるなどの徳行で知られる。また弟嘉一郎は家塾を開いていた(津森村郷土誌)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治8年荒瀬に小谷小学校創立,同11年の生徒数は男34・女12(県教育史)。「郡村誌」によれば,田9町6反余・畑263町9反余,戸数139・人数677,牛22・馬66,字荒瀬に人民共立小学校があり,生徒数は男39・女11,物産は米・野稲米・大豆・小豆・裸麦・小麦・粱・繭・菜種・甘藷・芋・煙草・茶・鎌など,民業は農業89戸・鍛冶職1戸・大工職1戸。同22年津森村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450756
最終更新日:2009-03-01




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