ケータイ辞書JLogosロゴ 鏡村(中世)


熊本県>鏡町

 南北朝期〜戦国期に見える村名。八代郡八代荘のうち。南北朝期と推定される年月日未詳の肥後八代荘内道前郷田数目録(阿蘇文書/大日古13‐1)に「肥後国八代庄之内道前郷田数〈但除料田也〉」の1つとして「一所 鏡村 四十五丁八段二丈」とあるのが初見。下って明応2年3月17日の八代荘道前郷鏡村坪付(願成寺文書/県史料中世3)には「肥後国八代庄道前之郷鏡之村之内水田坪付事」と見え,相良為続が二見の諏訪大明神に当村内の水田6か所,合計1町を寄進している。天文5年11月22日の沙弥洞然(相良長国)長状写(相良家文書/大日古5‐1)には,「阿蘇惟豊被退矢部,此方御憑,与風御出候歟,鏡福善寺御留候」とあり,「八代日記」天文19年6月25日条には「武真鏡福善寺御宿」とある。この福善寺は当地の中心的寺院であり,有力武将らの会見や宿舎として利用されたことがわかる。また同書天文18年6月6日条には「(伊野)六郎左衛門尉殿六月六日ニ隈荘ヨリ八代鏡之津ニ御着候」とあり,港の存在が知られる。同書弘治3年7月13日条には「(上村)頼堅御子八代鏡ノシウホトウ東堂御参候」とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450775
最終更新日:2009-03-01




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