ケータイ辞書JLogosロゴ 鍛冶屋町(近世〜近代)


熊本県>人吉市

江戸期〜現在の町名江戸期は人吉城下人吉町の一町人吉城の北西,球磨【くま】川対岸の北方に位置する近世初期の人吉城下形成に際して,文禄3年に領内各地から鍛冶職人を移住させて築いた町で(南藤蔓綿録),町名はこれにちなむ大工町・九日町などとともに城下で最も古い7町の1町江戸末期の城下侍屋敷図には那須宗悦跡地の西に「下カヂヤ町」,東に「上カヂヤ町」が見える(人吉市史)鍛冶職人は西同心鉄砲組とされ(熊風土記/肥後国誌補遺),東同心大工組とともに藩軍事力の一端を担ったものと思われ,享保8年には西同心鉄砲組59人が藩主の査閲を受けている(相良家近世文書/県立図書館蔵文書)鍛冶職人は鉄砲のほかに刀や農具・山用具を作るなど,独特の刃物製造に従事したが,現在では1〜2軒を残すのみとなっている寛政元年の私領御巡見教令には,鍛冶屋町2町33間・道幅3間,屋敷数66と見える(肥後国誌補遺)明治22年人吉町の通称町名,昭和17年からは人吉市の町名となる昭和15年の世帯数156同58年末の世帯数122・人口353
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450817
最終更新日:2009-03-01




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