ケータイ辞書JLogosロゴ 片保田村(中世)


熊本県>山鹿市

 南北朝期〜戦国期に見える村名。山鹿郡山鹿荘のうち。正平17年7月19日の菊池武明(菊池氏庶流)寄進状(広福寺文書/県史料中世1)に「(在肥後国)山鹿庄片保田村内也」とあり,当村の畠地1町を師の大智に寄進しているのが初見。ただしもと方保田八幡宮の背後の立石にあったが,現在専立寺境内にある自然石梵字板碑には元亨元年9月の紀年銘がある。鎌倉期以来菊池氏庶流片保田氏の本拠であったと思われる。興国3年8月10日の菊池武士起請文(同前)によると,「かたほたとの」は「おほきとの」とともに,寄合衆(内談衆)に加えるべしとされており,当時菊池氏武士団のなかで重きをなしていたことがわかる。また文明13年8月菊池重朝が守護府隈府【わいふ】で主催したいわゆる万句連歌発句(高田氏保管文書/県史料中世4)には,「〈方保田丹後守〉守経」と「〈方保田藤左衛門〉良清」が参加している。方保田城の城跡は現在大道小学校地となっているが,方保田氏の戦国期の居城であったとみられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450850
最終更新日:2009-03-01




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