ケータイ辞書JLogosロゴ 上鏡村(近世)


熊本県>鏡町

 江戸期〜明治22年の村名。八代郡のうち。江戸末期までに鏡村から分村して成立。熊本藩領。村高は「旧高旧領」792石余。「肥後国誌」では,鏡村のうちと見え,野津手永に属し,高710石余,小村に西願寺村・久保河原村・松本村がある。同書に記される海洲(貝洲)は当村海岸の塘から3町余の海中にある浮洲で,のち同所付近が干拓されて貝洲村などが成立した。元禄年間にはすでに鏡村のうちに当地の集落が形成されるようになっていたと思われる。当地入口にある字大力の取水堰は加藤忠広時代の築造とみられる。二重堤防の内側は当村への取水路,外側は下有佐村への取水路となっているため二双井樋と称された。太郎丸集落は,氷川の氾濫原にある小平地を領主の許可を得て開発した所と考えられ,太郎丸の水といわれる井戸は大旱魃でも涸渇しない。野津手永会所の建物が現存する。熊本県,八代県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同22年鏡町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450920
最終更新日:2009-03-01




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