ケータイ辞書JLogosロゴ 上色見村(近世)


熊本県>高森町

 江戸期〜明治22年の村名。阿蘇郡のうち。熊本藩領。村高は「旧高旧領」376石余。「天保郷帳」などでは色見村の高のうちに含まれたと思われる。高森手永に属す。「南郷事蹟考」では,高250石余,小村に洗川村・中原村・塩井川村・前ノ原村が見え,神社は当村総産土神の熊野宮のほか塩井川水神・天満宮・仁田水大明神など,寺院は浄土真宗東派了蓮寺,このほか中原に地蔵堂と薬師堂があり,洗川から波野村への坂を七曲坂というとある(肥後国誌)。細川氏が藩主となるとその一門で家老格の山名氏(のち三淵と改姓)が当村を領し,豊後国大友氏や,志賀氏の浪士で当地に帰農していた楢木野家などを寛文年間にその家臣に取り立て,村人数から除いて当地開発の指揮にあたらせた(高森町史)。開墾がなると彼ら御家人は1〜3町の御赦免地を得て,この地域の見締役に任じられている(同前)。当村は豊後国境が近いこともあって地筒が置かれていた。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治7年前原小学校,中原小学校を設立,同11年の生徒数は,前原小学校が男30・女25,中原小学校が男23・女2(肥後読史総覧)。同22年色見村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450948
最終更新日:2009-03-01




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