ケータイ辞書JLogosロゴ 上陣村(近世)


熊本県>益城町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城郡のうち。上陳村とも書く。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」720石余,「正保郷帳」も同高でうち田386石余・畠333石余,「天保郷帳」738石余,「旧高旧領」995石余。「肥後国誌」では沼山津手永に属し,高973石余,小村に奥村・堂園村・麓村・池尻村・鶴峰村・大仙寺村が見え,大仙寺跡は天台宗の古跡といい,天正年間津森城没落の時,光永中務惟祐が生害した所といわれる。氏神は寺中村の津森大明神宮。村内には同社の末社四ノ宮大明神や,阿蘇神社末社の霜宮(霜御前社)などがある。高原地帯で降霜が早いため郷内13村の農民が阿蘇郡役犬原村の霜宮を勧請し,宮座を営み,10月1日の御星祭りには神輿を隣村に順送りしたという。地内の切支丹塚は信者を処刑した所とも,キリスト教牧師の塚ともいう。文久年間〜明治初期には寺子屋が置かれ,男子生徒15名が学んでいた(肥後読史総覧)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田32町7反余・畑70町1反余,戸数87・人数421,牛46・馬93,物産は繭・米・野稲米・大豆・小豆・裸麦・小麦・粱・蕎麦・菜種・甘藷・芋・煙草・鎌・釘・茶など,民業は農業67戸・鍛冶職1戸・大工職1戸。明治5年に置かれた小学校は,同20年周辺の小学校と合併し,尋常上陳小学校となる。同22年津森村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450958
最終更新日:2009-03-01




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