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- 上田代村(近世)とは
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上田代村(近世) 江戸期~明治11年の村名三河国額田【ぬかた】郡のうちなお,「寛永高附」では加茂郡のうちに見え,それ以外は額田郡に編入されており,近世初期には加茂郡に属していたか巴川の支流郡界川流域に位置する寛永年間から岡崎藩領村高は,「寛永高附」96石余,「元禄郷帳」86石余,「天保郷帳」119石余,「旧高旧領」88石余「天保郷帳」の村高には折地村を含めていると思われる火産霊社,浄土宗清寿院がある清寿院は創建年不詳であるが,開山覚昭湛了は寛永4年没明治11年田折村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」