ケータイ辞書JLogosロゴ 上長田村(近世)


熊本県>南関町

 江戸期〜明治22年の村名。玉名郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」1,262石余,「正保郷帳」も同高でうち田1,042石余・畠220石余,「天保郷帳」1,321石余。「旧高旧領」679石余。江戸末期までに久重村を分村。「肥後国誌」では南関手永に属し,高663石余,小村に小次郎丸村・源太村・六郎丸村・今屋敷村が見え,神社に上諏訪大明神社・下諏訪大明神社・天満宮・藪神2,寺跡に禅宗泉福寺跡・同宗竹泉庵跡と宗派不明の長徳寺(長禄寺)跡があり,当村のうちとして久重村が別記される。上諏訪大明神・下諏訪大明神の両社は応保元年菊池七郎降直家人宇野兵庫介源好員が信州諏訪上下の神を勧請したという。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田40町3反余・畑40町7反余,戸数94・人数529,牛7・馬73,水車1,物産は穀類のほか芋・甘藷・蘿蔔・梨子・柿・麻・櫨実・楮皮など,民業は農業83戸・大工職1戸・石工職3戸・木挽職1戸・鍛冶職1戸・水車職1戸・絞油職1戸・麹職1戸・桶職3戸。同22年賢木村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450991
最終更新日:2009-03-01




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