ケータイ辞書JLogosロゴ 上仲間村(近世)


熊本県>嘉島町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城【かみましき】郡のうち。上中間村とも書く。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」709石余,「正保郷帳」も同高でうち田328石余・畠380石余,「天保郷帳」786石余,「旧高旧領」1,112石余。「肥後国誌」では鯰手永に属し,高1,039石余,四社大明神宮・天神社3があり,ほかに当村のうちとして高田村を記す。文政8年頃の益城上郡手鑑によれば,高1,039石余,反別は田44町余・畑29町余,家数106・人数353,馬59(綾部家旧蔵文書)。当地は大きな川に挟まれており,天保2年・同9年・嘉永4年・明治15年の大洪水など(肥後近世史年表ほか),大雨の際は水田や家屋の被害が甚大であった。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治8年当村中央の居屋敷の地に人民共立小学校が設置され,同11年の生徒数は男46・女9(肥後読史総覧)。「郡村誌」によれば,田82町8反余・畑24町4反余,戸数106・人数499,馬52,日本形船28,物産は米・裸麦・小麦など,民業は農業95戸・大工職1戸・石工職1戸など。同22年大川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7450997
最終更新日:2009-03-01




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