ケータイ辞書JLogosロゴ 上松求摩村(近世)


熊本県>坂本村

 江戸期〜明治9年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。熊本藩領。村高は「寛永郷帳」523石余,「正保郷帳」も同高でうち田97石余・畠425石余,「天保郷帳」も同高,「旧高旧領」652石余。「肥後国誌」によれば高田手永に属し,高652石余,小村に坂本村・油谷村・片岩村・藤本村・合志野【おしの】村・鎌瀬村・中津道村など17か村がある(肥後国誌)。山間重囲の南境,肥後峠は球磨郡への重要往還路,また一時期は人吉藩参勤交代の道でもあり,球磨川へ注ぐ油谷川河口周辺は川舟港の役割を果たした。辺境や球磨川流域沿いの各集落の生活資源・諸物資の交易は,球磨川舟運の恩恵を受け,遠隔地では人力や牛馬の背によった。寛文5年人吉藩林藤左衛門正盛の球磨川舟路開削工事竣工は,人吉藩参勤交代路はもとより,球磨〜八代間の交通および流域住民への経済効果が大きかった(人吉市史)。平地に乏しく山林資源の搬出に生活の糧を求め,楮・茶・柴・薪類などが八代と取引きされ,八代〜人吉間の舟運に従事する人もいた。流域住民による一揆も多く,文政6年商業統制反対,天明3年・文化3年球磨川運上免除の訴え,また享保15年百姓年貢不満の訴えなどが発生(人吉市史・新熊本の歴史)。浄土真宗本願寺派崇光寺は文禄元年合志野に創立,天明6年火災により焼失,寛政2年坂本の現在地に再建された。神社には延暦年間の創建と伝える藤本五所神社のほか,中津道阿蘇宮などがある。熊本県,八代県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治7年坂本小学校(現藤本小学校)を崇光寺に開校,中津道の私宅に鎌瀬分校(現中津道小学校)開校。明治7年松求麻駅7等郵便取扱所(現坂本郵便局)開設。同9年松求麻村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451038
最終更新日:2009-03-01




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