ケータイ辞書JLogosロゴ 上六ケ村(近世)


熊本県>嘉島町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城【かみましき】郡のうち。上六箇村・上六嘉村とも書く。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」では「上六ケ賀村」と見え1,090石余,「正保郷帳」も同高でうち田796石余・畠294石余,「天保郷帳」1,200石余,「旧高旧領」1,360石余。「肥後国誌」では鯰手永に属し,高1,299石余,小村に中郡村・押切村・竜福寺村が見え,八幡宮と真言宗西光寺があるほか,竜福寺跡・道免寺跡を記す。文政8年頃の益城上郡手鑑によれば,高1,299石余,反別は田68町余・畑39町余,家数134・人数550,馬113(綾部家旧蔵文書)。堤塘は御船川北堤と千反堤があり,御船川北堤には水門1か所と櫨並木がある(郡村誌)。櫨は堤塘の根固めと櫨実採取のために植えられたもので,旅人には木蔭をもたらした。御船川流域の堤防に八竜塘があり,加藤清正の御船川堤防築造の時,堤防が決壊するごとに現れる8頭の竜を対岸に祀って八頭大竜王と称したと伝える。この塘には清正公指揮所跡の記念碑と石仏がある。また堤防はたびたび決壊したため,人柱を立てて築堤したという伝説もある。当地では天保2年の豪雨など,御船川・矢形川の氾濫による被害が多かった(肥後近世史年表・上益城郡誌)。鎮守は文治元年創立の字中郡の中郡八幡宮(天満宮)。甲斐神社(足手荒神)は,戦国期の御船城主甲斐宗運・宗立を祭神とし,毎月1・15の日,特に2月15日と7月15日は多くの人々でにぎわい,手足の無病息災が祈願された(上益城郡誌)。西村神社は明治4年の創建。寺院では竜福寺が廃されて阿弥陀堂が残った。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治7年硴原【かきはら】の地に下六ケ村との合同で六嘉小学校開設,同11年の生徒数は男71・女27(肥後読史総覧)。「郡村誌」によれば,田94町余・畑19町6反余,戸数210・人数1,012,馬110,物産は米・裸麦・小麦・櫨実など,民業は農業201戸・質屋1戸,用水は井樋尻からの用水溝が当村の田60町余を潤したのちに下六ケ村・鯰村の用水として利用され,また六嘉溝が当村の田35町余の用水として利用された。同22年六嘉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451058
最終更新日:2009-03-01




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