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- 亀甲村(近世)とは
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![]() | 亀甲村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大分郡高田荘のうち寛永9年以来肥後熊本藩細川領である上徳丸村の枝村で,のちには大鶴村を枝村として抱える高田【たかた】手永洲ケ佐【すがざい】8か村に属し,高田会所支配をうける文化10年当時村高131石余(高田風土記),「旧高旧領」140石余農間期には日雇他所稼のほか,大工・木挽・桶屋・揚酒屋などを業とし,また近村の織布そのほか穀物油糟などの取次,炭山・材木山稼で他国へ出る者もあった課役は助水夫5人・堤防普請・山林竹木伐持出・宿駅役など文化10年当時の家数87,ほかに上徳丸村居住者10,瓦葺蔵4軒・土蔵1軒人数は462,地侍1・郡代直触1が雑居,馬21(高田風土記)臨済宗上徳丸村能仁寺支配の小庵がある明治4年大分県に所属同8年上徳丸村と合併して丸亀村となる現在の大分市大字丸亀のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」