ケータイ辞書JLogosロゴ 狩集村(中世)


熊本県>一の宮町

南北朝期に見える村名阿蘇郡北郷のうち建武3年3月11日の阿蘇社領郷村注文写(阿蘇文書/大日古13‐1)に,渋河兵庫助沙汰分の北郷のうちとして「一所五町 狩集村」とあるのが初見正平18年閏正月25日の阿蘇社造営料木納帳(同前)には「一,さしかもい 二し かりたまらひ」と見え,当地からさし鴨居2支を納めている同19年12月日の阿蘇社領四面内并郷々闕所注文(同前)では,「一,かり給 一所 やしき四ケ所 せきのまこ太郎給也」とある至徳2年8月7日の阿蘇社領郷々注文(同前)には,「一所 かりたまらい十丁七反〈このうち一丁四反御まいてん,なんかう御たいたけのくまちきやうなかゝのたい一大夫ちきやう〉」とあり,当地の10町7反のうち1町4反が御米田で,南郷の大宮司代官「たけのくま」と「なかゝ」の代官一大夫の両名が知行していたことが知られる応永9年卯月日の阿蘇社造営料木郷村支配注文案(同前)では「かりたまらいの分」として長押など16支を宛て課されている同11年11月3日の阿蘇社領宮地居取田并郷々御米田算用状(同前)によれば,「狩集方分」として田数5反3丈,うち1反は不作,残り4反3丈が定田であった下って文明5年3月11日の阿蘇社勧力供僧免田地居屋敷坪付注文(同前)によれば,「一所八段中坪 かりたまらいの内」とあり,当地内に勧力供僧の免田が存在していた同11年12月17日の阿蘇社領宮地居取田検見馬上帳(同前)では,「狩集方」として3か所が記され,作人として「ひやうこ」「十良方」が知られ,「ひの口」「はゝ」「あしかり」などの小地名が記されている同16年8月28日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(同前)には,「七御宮之分霜御宮同前」の1つに「一所かりたまらい〈とまり〉」とあり,収納の際の宿泊地となっていた天文14年10月20日の阿蘇社対面所造営料木切符次第写(同前/大日古13‐2)には「狩集五町」とあり,寄合で5町分の材木が宛て課されている同23年8月7日の阿蘇社造営料木郷々支配注文(同前/大日古13‐1)では,「狩たまらい・尾籠・両神護寺・中薗分」として料木を宛て課されていたなお「肥後国誌」には,尾籠村の注記に狩集村は尾籠村に属すという記載があり,現在の一の宮町手野のうちに比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451098
最終更新日:2009-03-01




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