ケータイ辞書JLogosロゴ 狩塚村(中世)


熊本県>岱明町

南北朝期〜室町期に見える村名玉名郡大野別符のうち康暦元年6月1日の詫磨寂祐譲状(詫摩文書/県史料中世5)に「肥後国大野別符上ついちかりつかの村の田畠屋敷并同国野原のさいかうとミまろ名内,あうをの田畠屋敷等事」とあり,寂祐は重代相伝の所領である当村の田畠屋敷などを,先日詫磨西八郎に半分契約したが,これを悔い返して惣領詫磨別当五郎を養子として譲っているその後,所領相論が起きたらしく,至徳3年と異筆で年紀の付けられた年未詳2月23日付の九州探題今川了俊書状(同前)に「詫摩(ママ)別当五郎親氏申,肥後国大野別符内築地・狩塚庶子分事」と見え,南殿に対して,同地は先に詫磨弥八入道(寂祐)知行分として安堵されており,親氏に沙汰付けするよう命じているそして,至徳3年3月15日の今川仲秋施行状(同前)で「肥後国大野別符内狩塚」は詫磨氏方に沙汰付けされているなお,年未詳3月2日付の九州探題今川了俊書状(同前)に「詫間かりつか本領ニ申子細候」とあるのはこの相論に関することであろう室町期の応永8年10月日の詫磨満親本領所々注文(同前)には「同符(大野別符)内狩塚村」とあり,また同じ頃と推定される年月日未詳の詫磨満親本領注文(同前)にも「同国玉名郡大野別符内尾崎村〈南北〉・狩塚村」とあり,詫磨満親の本領であったことが知られ,後者には九州探題渋川満頼の裏花押がある応永12年7月18日の詫磨満親譲状(同前)によれば,「内(同カ)国大のゝしやうの内かりつか入道しやくふのあと」などが親家に譲られているまた同14年7月日の神倉荘・鹿子木東荘等名々注文(同前)には「同符(大野別符)内狩塚村」と見える寛永12年の上野口村の地撫帳(県立図書館蔵文書)に「かり塚」と見え,現在の岱明【たいめい】町野口の上野口のうちと推定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451099
最終更新日:2009-03-01




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